明日を縫う、忘却の花嫁

第15話 花びらが指す場所

 花びらの数を数え始めてから、私は三度、お茶を冷ました。 「四枚、五枚、六枚……あれ。今どこまで数えました?」 「お茶は三杯目です」  向かいに座るエリオットが、すました顔で言う。机の上には紙に写した花の刺繍と、王宮の古い街図が広がっていた。  王妃の遺品にあった花柄は、セラさんが作業を止めたあの日から、ずっと気にかかっている。遺品そのものを勝手に持ち出すわけにはいかない。そこで、管理の人に許可をもらい、私が見た針の向きと花の形を紙に写したのだ。 「殿下、数えてくれるなら花のほうをお願いします」 「では、報酬は温かいお茶で」 「冷めたものが三杯あります」 「手厳しい」  彼が笑うと、張り詰めていた肩が少し緩んだ。昨日の記録室で、レオンさんは名簿の照合を拒んだ。マルタさんの名を追加する話は進めてもらっているけれど、ほかにも漏れた人がいるのか、まだわからない。  調べたいことばかり増える。手は二本しかないのに。 「こちらは五枚ですね」  エリオットが写しの端を指す。五枚の花びらのうち、一枚だけ線が短い。刺繍を見たときも、そこだけ針が妙な方向から入っていた。 「描き間違いでは?」 「確かめました。花びらは五枚。でも、最後の一針が内側を通っていたんです」  紙の上で、私は鉛筆を動かした。花の中心から端へ、次は裏を通って隣へ。針の順番を思い出しながら線を結ぶと、花々の間を斜めに渡る筋ができた。 「模様というより、道みたいですね」  エリオットは街図の上に薄紙を重ねた。花の中心を、古い噴水の印に合わせる。次の花は通りの交差点に、その次は川沿いの広場に近かった。 「偶然かもしれません」 「うん。でも、花びらの数は?」  私は街図の小さな数字に目を留めた。区画ごとに記された古い番号だ。噴水の区画は四、交差点は六。写しの花びらも、それぞれ四枚と六枚だった。  鳥肌が立った。合わない箇所もある。地図の番号が変わった可能性だってある。それでも、いくつもの花が似た場所を指している。 「お母さまが、何かを残したかったのかもしれません」  言ってから、私は王子の顔を見た。母親の話を、勝手な謎解きの材料にしてしまっただろうか。  エリオットは薄紙を押さえたまま、静かに頷く。 「そうだとしたら、知りたいです。ただ、母が何を考えていたかまで、今ここで決めつけないでおきましょう」 「はい。一緒に確かめます」  そのとき、戸口で小さく咳払いがした。セラさんだった。私の手元の花を見ると、彼女の足が止まる。 「また、その模様を」 「勝手に遺品を触ってはいません。管理の方に許可を得て写しました。前に作業を止めた理由、聞いてもいいですか」  セラさんの視線が、紙から王子へ移る。彼女はすぐには答えなかった。 「……あの刺繍に近づくなと、以前から言われていました。誰に、何のために、とは今は言えません」 「危険があるのですか」  エリオットが尋ねると、セラさんは唇を結んだ。 「わかりません。だからこそ、独りで行かないでください」  それだけ告げて、彼女は退出した。引き止めたかった。でも、怯えた横顔を見たら、言葉を力ずくで引き出すことはできなかった。  残された私たちは、もう一度地図を覗き込む。最初の花に重なるのは、川の手前の小さな区画だ。番号は三。花びらも三枚。 「ここには何が?」  エリオットは地図の隅にある凡例を読み、指先を止めた。 「織物工房、とあります。ずいぶん前に閉鎖されたはずです」 「工房……」  針順と地図が、たまたま似ただけかもしれない。けれど、縫い目の先に織物の場所があるなら、確かめずにはいられなかった。  王子は薄紙を丁寧に折り、私に差し出した。 「管理先と建物の状態を調べます。入る必要があるなら、許可と安全を確かめてから。一人では行かないでください」 「セラさんと同じことを言うんですね」 「ええ。私も心配していますから」  まっすぐ言われて、返事を探す間に顔が熱くなった。王子は冷めたお茶を一口飲み、わずかに眉を上げる。 「これは、確かに温かいほうがいい」 「今さらですか」  笑いながら、私は折った紙を胸に抱えた。花びらが示す最初の場所。閉ざされた工房の中に何があるのか、まだ誰も知らない。

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