明日を縫う、忘却の花嫁

第19話 新しい一針

 避難所の窓辺には、洗ったばかりの布が干してあった。陽に透ける白さを見ていると、昨夜の黒い糸だけが、まだ指に巻きついているようだった。  トマさんとリナさんが話を聞いてくれるという。エリオットとセラも同席し、私は二人の向かいに座った。 「霧の中で、私はトマさんの袖を縫いました。助けたいと思って、返事を待たずに」  喉が乾く。それでも言葉を止めなかった。 「その糸が黒くなり、切った後も、トマさんはリナさんのことを思い出せませんでした。私が無断で縫ったことと、記憶が失われたことには関わりがあります。ごめんなさい」  トマさんは膝の上で手を組んだ。リナさんは私を見て、それから父を見た。 「父を助けようとしてくれたのは、わかる。でも、あなたが縫わなかったら、どうなっていたの?」 「わかりません」  霧がもっと深く彼をさらったかもしれない。別の方法が間に合ったかもしれない。どちらかを選んで謝罪の理由にすることはできなかった。 「わからないまま、取り返せないことをしました」  リナさんは目を伏せた。怒っているのか、泣きたいのか、私には決められない。沈黙を埋めたのは、トマさんだった。 「俺はあんたを覚えちゃいない。さっき、この人が娘だと聞いたことも、確かめながらでないと落ち着かん」  リナさんの肩が揺れた。彼は困ったように続ける。 「だが、教えてもらったことを嘘だと言いたいわけじゃない。時間をくれ」 「うん。私も、すぐに平気にはなれない」  二人の間に、今度は私が入らずに待った。  話が終わりかけたとき、セラが立ち上がった。 「私もお伝えしなければなりません。黒い糸が、同意のない縫い目から生まれ、記憶を傷つけることを知っていました。ミオに危険を十分に話していなかった」  彼女の指先は、固く握られていた。 「知っていたのに?」とリナさんが尋ねる。 「ええ。王宮の仕事を守るために、口を閉ざしました。申し訳ありません」  セラは頭を下げた。弁解はしなかった。リナさんはすぐには答えず、窓の布を見た。 「今日は、もう聞くのがつらいです」 「承知しました」  セラが身を引く。私たちは、それ以上許しを求めなかった。  帰り支度をしていると、トマさんが避難所の椅子を指した。座面の布が端から裂けている。 「これ、直せるかい。腕が鈍ってなきゃ、俺にも手伝えると思う」  リナさんが少し驚いた顔をした。 「お父さん、道具は持ってこられなかったでしょう」 「じゃあ、借りようか。あんたも一緒にやるかい」  彼女は迷い、それからうなずいた。  私は針と普通の糸を貸し、布を押さえる役を引き受けた。願いを縫い留める必要のない、ただの修繕だ。リナさんは縫い代を折り、トマさんは節のある指で針を通す。 「ずいぶん目が細かいね」と彼が言う。 「昔、父に褒められたの。……あなたに」  トマさんの手が止まった。リナさんは慌てて笑おうとして、やめた。 「覚えてなくてもいい、とはまだ言えない。でも、今そう言ってもらえて、うれしかった」 「そうか。じゃあ、今日のことは覚えていたいな」  彼はもう一度、針を動かした。失われた雨の日は戻らない。それでも新しい一針が、二人の手の間に増えていく。  作業を終えて外に出ると、エリオットが扉を押さえてくれた。 「椅子は、しばらく持ちそうですか」 「二人の縫い目なら、きっと。……私も端を押さえました」 「それは重要な役目です」  大げさにうなずく彼に、少しだけ笑った。笑ったからといって、私の責任が軽くなるわけではない。明日も二人の望む手助けを聞こうと思った。  そこへ王宮の使者が駆け込んできた。セラは差し出された封書の印を見るなり、顔色を変える。 「宰相からです。王宮の暁布を、至急修繕せよと」  彼女は手紙を閉じ、私を見た。その目には、工房で初めて会った日の厳しさとは別の、切迫した迷いがあった。

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