明日を縫う、忘却の花嫁

第32話 封印された設計図

 王宮の門の前で、衛兵は馬車を止めた。 「設計図をお渡しください。宰相閣下のご命令です」  私の手の上に重なったエリオットの手が、わずかに力を増す。袋の口にはアンナが結んだ大きな結び目。街の人たちは、調べ終えたら原本を返すという約束で、これを預けてくれた。 「宰相に直接お話しします」とエリオットは答えた。「あなたは案内を」  兵士は困った顔をしたが、道を譲った。馬車を降りると、旅の土が靴からぱらぱら落ちる。いつもなら気になる床の汚れも、今日は気にする余裕がなかった。  執務室にはオルフェンが待っていた。窓の外には王都の屋根が並び、その向こうが白く霞んでいる。 「街道に霧が出たと報告を受けております」  宰相は私たちを見るなり言った。 「暁布の補修が追いついていない。未知の設計に手を出す余裕はありません。図は私が預かります」 「街の方々から、返す約束で借りたものです」  私は袋を抱え直す。「いつ、誰が調べて、いつ返すのか。それを決めずに渡すことはできません」 「異邦人のあなたに王国の危機がわかりますか」 「全部はわかりません。でも、道を塞いだ霧は見ました。街の布が古くなったとき、住民の記憶が奪われたことも聞きました」  セラが一歩前に出る。 「私がその危険を知りながら報告を隠していました。記録と住民の証言を調べる必要があります」  オルフェンは彼女を見た。怒鳴りはしなかったが、机に置いた指が硬く揃う。 「だからこそ不用意な調査を禁じるのです。補修に必要な人員を割けば、今日守れるはずの場所を失うかもしれない」 「今日を守ることに反対はしません」とエリオットが言った。「ですが、別の方法を調べることまで禁じる根拠にはなりません」 「殿下。図に記された方法が、結界を弱めないと証明できますか」  返事が途切れた。できない。小さな布の線が何を示すのか、まだ私たちは読み解けてもいない。  宰相はその沈黙を待っていたように、衛兵を呼んだ。 「原本と写しを封印し、保管庫へ。関係者による設計図の調査を禁じます。霧の拡大が落ち着くまでは、資料への接触も許しません」  ノアが息を呑む。彼が描いた写しには、線の薄くなったところを確かめた跡も残っている。街に置いてきたもう一枚を思い出したけれど、黙って研究を続ければ、アンナたちまで巻き込んでしまう。 「封印するなら、袋に入れたままにしてください」と私は言った。「街の人からの預かり物だと、記録にも」 「承知しました」  宰相の答えは短かった。衛兵が受け取る前に、私は袋の結び目を指で確かめた。きつく引けばほどけなくなる。アンナはいつでも開けられるように、少しゆとりを残して結んでいた。  袋が机の向こうへ移る。そこに私の指先だけが取り残された気がした。 「もう一つ、命じます」  エリオットの声が室内に響いた。 「私は第二王子として、提出された図の写しを王家の公的記録として保管するよう命じます。封印されたこと、原本の所有者が街の人々であることも記してください」 「殿下、それでは閲覧を認めることになりかねません」 「今ここで閲覧を認めろとは言っていません。存在まで消されることを防ぎたいのです。保管の責任者と封印の日付も残す。私と宰相、それぞれの署名を」  オルフェンはすぐには答えなかった。私は初めて、彼が袋ではなく王子の顔を見ていることに気づいた。 「霧がさらに広がれば、後悔なさいます」 「何もしなくても、後悔する人はいます」  エリオットは静かに答えた。「どちらの危険も記録に残しましょう」  やがて宰相は記録官を呼び、封印の手続きを命じた。ノアの写しは原本とは別の筒に収められ、封蝋の上に二人が署名する。ノアはその様子をじっと見ていた。 「僕の名前も書いてください」と彼は言った。「写したのは僕です。間違いがあったら、聞いてもらえるように」  記録官はノアの名を書き加えた。宰相はそれを止めなかった。  執務室を出たころには、窓の光が傾いていた。設計図は返ってこないし、調べる許可も得られなかった。それでも、袋と筒がどこへ運ばれたか、誰が封印したかは手元の控えに残っている。 「街に知らせないと」とノアが言った。 「ええ。私からも手紙を書くわ」セラが答える。「約束を守れなかったことも、今わかっていることも」  彼女の声には疲れがあったが、目を逸らさなかった。  廊下の角で、エリオットが立ち止まる。 「申し訳ありません。守れたのは写しが存在するという事実だけでした」 「それがなくなるのも怖かったです」  私は控えの紙を折った。「ただ、原本を返す約束は残っています。私たち、まだ返していません」 「はい。忘れません」  彼は手袋の指を軽く握り、ほどいた。昨日、霧の中でその腕をつかんだ感触がよみがえる。無事に帰ったらお茶を淹れると言ったのに、気持ちはまだ街道に置いてきたようだった。 「お茶、冷めてもいいですか」 「まだ淹れていませんよ」 「あ、そうでした」 「では、冷める前に飲めるよう、私も手伝います」  少しだけ笑うと、彼も肩の力を抜いた。  そのとき、廊下の向こうから足音が近づいた。書類を抱えたレオンが、私たちの姿を見て立ち止まる。視線は私の持つ封印の控えに落ち、それから周囲を確かめた。 「ミオさん。後で、話があります」  呼び止めた声は小さかった。彼の腕の中では、古い紙の端が一枚だけ、他の書類からはみ出していた。

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