訓練用の旗は、思っていたより大きかった。
作業台に広げると、青い布を斜めに裂け目が走っている。
銀糸で刺した鳥の羽も、片方だけ途中で途切れていた。
「昨日の訓練で、槍に引っかけたそうです」
セラは破れ目を押さえた。
「繕えますか?」
「布は直せます。
でも、これも暁布なんですか?」
「旗そのものは普通の布です。
ただ、持ち主が願いを込めた糸を飾りに使っていると聞いています。
気をつけて」
裂け目に触れると、指先にかすかな温もりが伝わった。
誰かが、遠くの家へ帰ろうとしている。
そんな気配。
ルカの上着を縫ったとき、私はそれが願いだと知らなかった。
知らないまま手を動かして、たまたま喜んでもらえた。
それだけだ。
「持ち主の方に会えますか。
布を直していいかも、願いを縫っていいかも、聞きたいです」
セラは少し眉を上げた。
「いいでしょう。
中庭にいるはずです」
エリオットが扉を押さえてくれる。
「僕も同行します。
旗が僕の腕前を見て逃げないように」
「殿下に針を渡す予定はありません」
「先手を打たれましたね」
中庭では、若い兵士が木槍を片づけていた。
旗の持ち主だと名乗った彼は、裂けた布を見るなり肩を落とす。
「俺の不注意です。
母が縫ってくれた鳥なのに」
「お母さんの刺繍なんですね」
「入隊の日に。
毎年、収穫祭には帰ってこいって。
俺も帰りたいと願いながら、この銀糸を縫いました」
私は旗を持ち直した。
「破れたところを直してもいいですか。
それから、銀糸に込めた願いがほどけないよう、縫い留めても?」
兵士はすぐには答えなかった。
私も待った。
彼が旗を見つめ、鳥の残った羽をそっと撫でる。
「お願いします。
ただ、うまくできなくても、鳥の形は変えないでほしい」
「はい。
変えない方法を考えます」
工房へ戻り、私は裂けた端を合わせた。
引っ張って塞ぐだけでは鳥の形が歪む。
裏に薄い補強布を当て、力が一点に集まらないよう、細い糸で少しずつ留めていく。
セラが隣から覗いた。
「なぜ最初に選んだ糸を使わないのです?」
「丈夫ですが、この旗には太すぎました。
試験の前に選んだからって、合わないまま使うのは違うと思って」
「選び直すのも判断です」
その言葉に背筋を伸ばし、私は針を進めた。
銀糸の切れたところに近づくと、温もりが再び指先に集まる。
収穫祭に帰りたい。
本人の口から聞いた願いを思い浮かべ、私は銀糸の端を新しい糸でそっと支えた。
針を返し、一目ずつ。
願いを大きくしたり、別のものに変えたりはしない。
ただ、ここに留まれるように。
最後に旗を持ち上げる。
裂け目は見えにくくなり、鳥の羽も両方、風を受ける形に戻っていた。
兵士を呼ぶと、彼は旗を両手で受け取った。
「鳥が、ちゃんと帰ってきた」
「帰るのはあなたでしょう」とセラが言う。
「はい。
休みをもらえるよう、訓練も頑張ります」
兵士が出ていくと、セラは私の縫い目を裏から表から調べた。
「補強も適切です。
本人に確認し、望みを聞いてから縫った。
合格とします」
「本当ですか!」
思わず立ち上がると、膝が作業台にぶつかった。
エリオットが笑いをこらえながら椅子を引いてくれる。
「合格祝いに、机を壊さないでいただけると助かります」
「善処します」
セラも小さく息をついた。
「書庫への問い合わせは進めます。
あなたには工房の手伝いを、できる範囲でお願いします。
ただし、願いを扱うときは必ず相談してください」
「はい。
ありがとうございます」
片づけのため、私は机に残った糸くずを集めた。
その中に、一本だけ妙に黒い糸が混じっていた。
さっき使った糸は青と白、そして銀色。
黒は選んでいない。
「セラさん、これ……」
彼女は振り返り、私の掌を見る。
その表情から、笑みが消えた。
「どこにありましたか」
「旗を置いていたところです。
でも、最初からあったのか、縫っている間に出てきたのかは、わかりません」
セラはすぐには糸に触れなかった。
窓の向こうでは、兵士の持つ旗が風にはためいている。
「その糸を、捨てずに置いてください」
私は頷き、黒い糸を白い端切れの上にそっと置いた。
旗は無事に見えた。
それなのに、セラの硬い声だけが、工房に残った。